5月の「葵祭」、7月の「祇園祭」とともに京都の三大祭りの一つに数えられる「時代祭」。
都大路を練り歩くきらびやかな時代絵巻は見応えがあって何度見ても感動します。
そこで「時代祭」の見どころと、祭りのメイン、「時代行列」のスケジュールや有料観覧席などお役立ち情報を一挙紹介します。
「時代祭」とは
「時代祭」は平安神宮の例大祭。平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まりました。桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移した10月22日に「京都の誕生日」として、毎年開催されています。
明治維新から始まり、次いで江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と8つの時代にまたがって、それぞれの時代の衣装をみにまとった20の列、牛や馬を含む総勢約2000名におよぶ行列が秋の都大路を練り歩きます。
列の長さは2㎞にも及びます。約12,000点にも及ぶ衣装、祭具、調度品は綿密な時代考証が行われて、細部に至るまで各時代を再現しています。
その豪華絢爛な時代絵巻は目を見張るばかり。京都に受け継がれてきた伝統工芸技術の粋を感じることができて、家族・ファミリー揃って感動します。
「時代行列」のルートと目安の通過時刻
「時代行列」のルート
「時代行列」の目安の通過時間
京都御所・建礼門前出発(12:00)→堺町御門(12:15頃)→烏丸丸太町(12:30頃)→烏丸御池(12:50頃)→河原町御池(13:20頃)→河原町三条(13:30頃)→三条大橋(13:40頃)→三条神宮道(14:10頃)→平安神宮(14:30頃)
13時頃には御池寺町、14時頃には平安神宮前で奉祝踊りが披露されます。
観賞におすすめの有料観覧席
沿道で毎年、多くの人が観賞する時代祭。
祭の列は約2㎞と長く、歩くスピードもゆっくりなので、全ての行列が通過するのも時間がかかります。時代祭では京都御所、御池通、平安神宮道の3箇所で有料観覧席が例年設けられます。
有料観覧席では椅子が用意されているので、椅子に座ってゆっくりと行列を見ることができます。しかもパンフレットとオリジナル手提げ袋付きでとってもお得です。
「時代行列」の見どころ
行列の順序は新しい時代の明治維新から順次古い時代に遡って延暦時代に至り、最後に御鳳輦の神幸列、及び弓箭組列の順で編成されています。それぞれの時代の行列の見どころについて紹介します。
明治維新時代:維新勤王隊列
明治維新の際、東北地方で幕臣を中心に反抗した際に、丹波国北桑田郡山国村(現在・右京区京北)の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模した列です。
三斎羽織(さんさいはおり)に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊(しゃぐま)をかぶり、脚絆、足袋、草鞋をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿です。また、肩章をつけ階級を表しているところなど、近代軍制への過渡期を示しています。
明治維新時代:維新志士列
明治維新に貢献した木戸孝允、西郷隆盛、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、吉田松陰、吉村寅太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、橋本左内など幕末の志士の姿を再現しています。
幕府に対抗するため天皇を動かそうとした7人の公卿のいわゆる七卿落の列など、当時の公卿達も列に加わります。
江戸時代:徳川城使上洛列
徳川幕府は、朝廷の大礼などの大切な儀式や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。
城使には親藩・譜代の諸侯が選ばれ、ことに即位の大礼には将軍家名代が多数の従者をしたがえ、その服装器具などは非常に華美なものでした。
本列は普通の場合を模したもので、城使は乗物(本列では騎馬になっています)、目附頭以上の者は騎馬。乗物の駕籠は幕末当時の形式をとったものです。先頭の槍持、傘持、挾箱持の「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の面影を偲ばせてくれます。
江戸時代:江戸時代婦人列
江戸時代の京都で話題となり活躍した女性が登場します。
和宮(孝明天皇の皇妹)、大田垣蓮月(江戸時代の女流歌人)、中村内蔵助妻(京都銀座に巨万の富を有した豪商の妻、当時妻女の衣裳比べの会で抜群の誉を得た)、お梶(女流歌人で、祇園に茶店を営んでいた)、玉瀾(池大雅の妻で、閨秀画家として南画をよくした)、吉野太夫(京都六条三筋町の名妓)、出雲阿国(出雲大杜の巫女を名乗って京都で「やや子踊」や「かぶき踊」を演じ歌舞伎の創始者とされる)が続きます。
当時の女性のファッションが忠実に再現されています。
安土桃山時代:豊公参朝列
慶長元年(1596)5月に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が朝廷に初参内した時と慶長2年(1597)9月に元服した時の参内の様子を再現しています。
乗物は特に盛儀に使われた牛車で、檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしぐるま)といい、蒲葵(びろう)の葉で葺き、すだれなどの色文(いろあや)装具は最高の様式のものです。
服装は当時特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもので、衣冠の姿も普通ではなく、袴をつけ、太刀も武家風です。徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。
安土桃山時代:織田公上洛列
永禄11年(1568)に織田信長が第106代・正親町天皇のお召しを受け、兵を率いて上洛する様子を再現しています。
朝廷の命を受けた立入宗継が、粟田口(京都市東山区)に織田信長を出迎えて上洛する姿を模したものです。
足利将軍・三管領・四職などの武士の軽武装姿を再現しています。
騎馬の将軍は赤地金襴桐文様の鎧直垂に引立烏帽子、紺糸縅の喉輪、脇楯、佩楯 (はいだて)の小具足姿で幕府の執政にあたる三管領・四職に任ぜられる主要氏族が御供衆として従います。
また御供衆(おともしゅう)・公家・法中(僧侶)・医師などの特色ある風俗を表現しています。
延暦20年(801)、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征を終えて平安京に凱旋する様を表しています。
大将の坂上田村麻呂は、きらびやかな金小札(きんこざね)の甲冑に、金作りの直刀を差し、丸木弓を従者に持たせ、木地に漆画をほどこした鞍に赤革の三懸の馬に乗り、従者に矛持、弓持を従えています。
平安遷都直後、延暦15年(796)、文官が朝賀の儀式のため参朝する様を表しています。
大将の坂上田村麻呂は、きらびやかな金小札(きんこざね)の甲冑に、金作りの直刀を差し、丸木弓を従者に持たせ、木地に漆画をほどこした鞍に赤革の三懸の馬に乗り、従者に矛持、弓持を従えています。
神饌講社列
時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達の行列です。
服装は朝服(ちょうふく)で、身分によって色が定められています。三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑の袍を着用しています。
前列
神幸列の前を歩いているので前列といいます。御賢木(おんさかき)を先頭に、迦陵頻(かりょうびん)、胡蝶(こちょう)の舞人、さらに雅楽の伶人など優美な衣裳の列で、多数の狩衣装束のお供が従います。
神幸列
御賢木(おんさかき)を先頭に、御鳳輩を中心とする神幸の本列です。先に進む御鳳輦が孝明天皇、後の御鳳輦が桓武天皇で、宮司以下神職が前後に供奉します。
白川女献花列
白川女は比叡山を源に発する白川の流域に住み、季節の花を売り歩くのを業とする女性。平安時代中頃から朝廷に花を届けていたといわれています。伝統的な白川女姿で、神前に献花する花を頭にのせています。
弓箭組列
丹波国南桑田(現在の亀岡市)、船井(現在の南丹市)両郡には、源頼政に従って弓箭(きゅうせん)の術を究めた人が多く、その子孫も平素弓箭組を組織していました。
桓武天皇平安遷都の際その御列の警護にあたったとも、また、維新の際には山国隊とともに活躍したともいわれています。